センサー分野について
自動運転の実現はそう遠い未来の話ではない。
限られた条件下では、手放し運転が可能になっており、無人走行のクルマも登場している。自動運転実現にはさらなる技術に向上と法整備が求められている。
しかし、課題はあるにしても実現はそう遠い話ではない。
今回は自動運転分野を理解してもらうために、中心的技術を3つ取り上げて解説していこうと思う。
自律運転「Autonomous」
日本語の自動運転を英訳すると、セルフ・ドライビングであるが、自動車業界では「Autonomous」という言葉を良く使う。この言葉には自動車が自律的に動くという意味を持つ。乗車する人が目的地を入力するだけで、自律的にクルマが最適な経路を選択し、周囲の安全を確認しながら走行する。「Autonomous」という言葉はこのような意味を持つ。自動車が自律走行を実現するためには、瞬時の判断をクルマ自身が行う必要がある。そのために必要な技術がキーワードとなる。
ミリ波レーダー
現時点で普及している先進運転システムは高速道路に限定して使われていることが多い。その中でミリ波レーダーはもっと多く使われている技術である。
ミリ波レーダーとは、高周波帯(77〜81GHz)の電波のことで、電波の反射を測定することでレーダーの先にある物体を検知するというものである。
ミリ波レーダーは高周波である程、精度が高くなるという特徴を持つ。
現状では斜め後方からの接近車両の検知には、24GHz帯のミリ波レーダが使用されているが、将来的には77GHz帯クラスのミリ波レーダーが使用されるだろう。
スバルのアイサイトのようにカメラシステムを使用したものも多いが、光学システムに対してミリ波レーダーは天候に影響を受けにくいというメリットがある。
LiDAR
LiDRA(リーダー・ライダー)とは光源と光センサーを用いた光学系のセンサーである。レーザー光で物体をスキャンして検知を行う。
LiDARの特徴は物体までの距離と物体のアウトラインの検知を同時に行うことができる点である。ミリ波レーダーでは、物体までの距離は検知できるがアウトラインは検知することはできない。
LiDARであれば、対象が歩行者なのか自転車なのかといった区別が可能になる。レベル3の自動運転を実現するためには、LiDARの技術が必須となっており、開発車両などには前後左右の6箇所にLiDARが装備されている。
Audi A8には搭載されているが、現時点では市販車への搭載は限られている。
AIを活用した画像解析
ミリ波レーダーやLiDARはどちらかというと対象物の距離を認識するのに、有用的な技術であると言える。
対象物のアウトラインや認識の観点から言うと、カメラの方が期待できる。
すでに、路面の白線を識別して車両をアシストする技術は市販車に搭載さていいる。画像解析に求められるのはより高度なレベルである。
横断する人の顔の向きなどから歩行者の進行方向を識別して、歩行者の進行方向を予測する研究が行われている。距離計測も可能であり、三角測量(カメラの幾何的な配置から、視差マップを距離に変換)という計算アルゴリズムによって算出可能となっており、ステレオカメラ搭載車に実装されている。
今回は紹介したどの技術が自動運転を牽引するのか、今後の動向に注目していきたい。各技術には強みとする特徴があるので、それぞれが実装され連動して対象物の検知が行われていくと考えられる。各装置が検知したデータを処理するマイコンなどの装置についても取り上げてみたい。
Is this phone made by Apple? No Huawei!
卒論の提出も完了し、僕の学生生活が終わりを迎えつつあります。12月の頭の段階でほとんど完成していたので余裕を持って提出することができました。なので大晦日、元旦はゆっくり過ごすことができました。みんな提出期限ギリギリまで取り組む中、提出解禁初日に提出でき、完全に悦に浸りました。
そんなことはさておき、私は最近スマートフォンを変えました。それまで、私はiPhone6という機種を使っていたのですが、使用期間が長かったせいもあり、充電が一瞬で切れたり、更には慢性的な容量不足に陥っていました。
口癖は「スマホの充電器貸して」、「写真ね、、今容量無くてもう撮れないの」、「待って思い出消さなきゃ、そのゲームアプリダウンロードできんから」など現代となっては死後になりつつある表現を僕はしていました。そんな生活にも嫌気が指し、とうとうスマホを変えようと決断しました。
スマホ変えようと決断し、今までiPhoneを使ってたので、初めは今回も最新のiPhoneにしようと思っていました。
しかし、、、価格を観ると最新鋭のiPhoneXはとても高価な製品となっていました。12万円、、、とてもじゃないけど月収6万円の僕には手の届かない商品だなと感じ、社会の厳しさをSteave氏から痛感させられた気分でした。一人すすり泣きをしながら、ビックロ新宿店のスマホコーナを後にしようと思った瞬間でした。僕の目の前に黄色地の板に黒字で「格安スマホ」と刻印された看板が現れました。僕は何も疑うことなく、格安スマホコーナーへ立ち入っていました。
その中でも一際輝くスマホラインナップを提供する会社がありました。それが華為技術でした。
実際にnova3という商品を購入したのですが、使ってみても僕には申し分ない製品でした。特にカメラはとても綺麗でした。AIカメラという良くわからない機能が、被写体のシーンに合わせて最適化し、素人が撮影してもプロのカメラマンが撮った写真のように綺麗に処理してくれるという嘘のような本当の機能が付いてます。容量も128GBとiPhoneXの64GBクラスよりも多く、無限に写真が撮れる気がしました。またロック機能に顔認証が付いており、華為技術の技術力に頭が下がりました。気になる価格ですが、IIJmioで他社乗り換えで1万5千円引きしてもらい3万ほどで購入できたので大変満足しています。
ただ、1週間使ってみてある疑問が浮かびました。機能性や操作性は申し分なく、iPhone6時代と比べものにならないくらい良いのですが、、一つ気になったことがあります。それはデザインに関してです。気付いてはいけないことに私は気付いてしまいました。
「アレ、、、背面にリンゴのマーク無くね?」
そう思った私はじゃあいっそのことリンゴつければ良くねと思い立ちました。
そこで早速Amazonでリンゴを手に入れて付けちゃいました。
昨今、米中関係が貿易戦争で悪化している中、企業レベルにおいてもApple対華為技術の対立構造ができるなど、おかしな世の中なのです。
世界の覇権争いに私は巻き込まれたくない。そんな思いが僕のスマホの背面には込められているのです。
関学戦に向けて
今年でラクロスを初めて4年目になる。
そして今年でもうあと一カ月もしないうちにラクロスをする自分が終わる。
なんかちょっぴり寂しいな。
入部以来、俺にとって練習は正直苦痛だった。
週5で連休ないし、朝練の早起ききついし、防具やクロスを揃えるのにお金かかるし、同期も半分以上途中で辞めたし「俺も辞めてやる」って何回も思った。
でも辞めないでここまで続けてきたのは、それらを理由して辞めてく奴らが単純にダサいなって思ったからだ。辞める時は「ラクロスというスポーツが嫌いになったら辞めよう」と決めていた。でも俺は今日までラクロスを嫌いになれなかった。むしろ、グランドに行くまでは、ムッチャしんどいけど、一旦練習が始まると自分にスイッチが入りのめり込んでしまうような何か心酔している自分が好きだし、心底楽しかった。
けれども「勝ちたい」っていう気持ちが芽生えたのは、正直今年のリーグ戦からだ。
それまでは歴代先輩達の勝利への思いとかを目のあたりにしてきたけど、後輩として捉えてしまい惰性で練習に取り組んでいた。人は不思議なもので終わりを知ると、惜しむ気持ちから全うしようとするのかもしれない。だから少しでも自分が前進するために必要だと思うことは取り入れたつもりだ。筋トレ、プロテイン摂取、全チームの対戦相手のスカウティング、後輩への自主練への誘い、、4年生の今からやっても意味ないって言われることもあるかもしれないけど、やらずにはいられなかった。体重も夏から5キロくらい増やした。できればもっと早く気づいて、ウェイトとかしっかりやっていっれば、自分の体の表面積が大きくなってワンチャン体に当たってセーブできるかもとすら考える。
「勝ちたい」という気持ちが芽生えてからチームの結果も変わった気がする。
合宿では4戦全勝という結果に終われたこと、あの時は本当に楽しかった。
だから、「本当にリーグ戦でも勝てるんじゃないか」って希望を持つことができた。
しかし、現実はそう甘くなかった。
初戦の帝京に敗れた。
そして続く駒沢大戦でも勝ち切ることができず引き分け。
非常に悔しい。茨城に足りない個の力が露呈している。下手くそなのに個人が個人のためにプレーしてはダメだ。グラボ、しっかり人数かけてよろう。クリアまでMDはフライせずあげきろう。個人が全体のためにプレーすればミスが減る。
それができれば、絶対に次の関学戦は勝てる。
残りの練習はそういうところを意識してやろう。
次の集客試合で負けたら、辛かった夏の練習も何の意味ないぞ。
俺らの代からリーグ戦での勝利を知らない。
そんなんで俺らは引退したくない。
3年がいないとか関係ない。4年と2年でカバーできる。
次の関東学院戦、全員で勝ちにいくぞ。
就活に関して思ったこと
私の学生生活ももう残り一年である。あくまでも予定ではあるが、、人生のモラトリアムが今年度で終了してしまうのは心寂しい。だから俺は残りの限られた時間、精いっぱいチンパンすることに決めたんだ。大学4年生のこの時期にチンパンの足かせになるのは、「就活」と「卒論」なのでそんなバカバカしいことで時間を割かれるの御免である。そんな時間があるなら、可愛い1年生の女の子達とイチャイチャしてる方がよっぽど楽しいことが判明した。だから、僕は瞬殺で、この2つのうちの「就活」を終わらせてしまった。僕が就活したのは一カ月くらいかな。
どうやら周りの大学4年生を観ると、自己分析やら話のネタやらSPIやらをスコブル一生懸命対策しているようである。だから僕も他人に流されながら、一度だけ大学の就活セミナーに行ってみたんだ。そのセミナーでやったことは、自分の頑張ったことを紙に書き出すという「とーっても恥ずかしい作業」でした。だから僕はその時間がとても苦痛だったんだ。
そんな頑張ったことなんて、机の上とかで騎乗位しながら考えるより、寝る前に布団でオナニーしながらちょっと考えれば頭もクリアになるから、見つけることができるんじゃないかな(笑)💛それだよソレ今やってることだよって💛頭イカレタナ自分。ともかくかわいそうな子たちを増やさないためにも、ゼミで就活に関してアドバイスしてくれと言われたので、僕は以下のことは不要であると声高にゼミで話したよ。
- インターンシップは行かなくてもよくね。俺も行ってないし。
- 合同説明会。アレはお祭りだから、隣の可愛い子に話かけて友達になりなよ。
- セミナー的なやつ諸々?なんかいろいろあるけど、行ったところで就活に直結しないので自己満になります。オナニーと一緒です。
- ゼミの先生のアドバイス。なんか就活にちゃちゃ入れる先生、入れてくれる先生いるけど、それも意味ないよね。自分が安心するだけで、オナニーと一緒です。僕は一度も教授とは就活の話をしてません。
まぁ終わってみるとわかるけど、「就活で大事なことは就活にむけてやることではないと思う」と話しました。今やってること部活やらバイトやらヲタヲタやら旅行やら飲み会やらを、トコトン楽しみなさい。いっぱい遊べ!!って後輩にアドバイスしました。
すると、3年生はイタチ人形の目が光るかのような冷徹な視線を僕に向けたんだ。
だから付け足すように、これだけやればってのを言いました。
それは、、、四季報を買うこと。人見知りを治すこと。嘘をつくこと。
この三つだけです。マジで。どうせ働くなら、給料が多くて、休みが多くて、福利厚生が抜群で、残業が少ない会社がいい。そして長く働ける環境なら最高だよねって。あとは、少しブランドがあるみんなが聞いたことがあるような会社??潰れそうになったら日本政府が資金援助するような会社?三菱とか日立とか〇〇商事とか野村〇〇とかカッコ良くね。我がままになるべきかな。こうした人間の悪い欲望を公開し網羅してるのが、四季報であった。あとはこれらの基準を満たす会社をペタペタ附箋して、一斉に3月エントリーしよう。そうすれば取りこぼさずに、選考には進めるんだよね。
んで、次に面接があるんだよね。コレはお話しし合うだけだから、緊張しなければいいかな。人見知りしないで、近所の人と長話する感覚で受ければどれかしらには引っかかるよ。なんか、話すこと一字一句憶えて話すロボット人間がたまにいたけど、笑っちゃうよね。アイドルの握手会の時間長いバージョンみたいなものさ。
これを突破すると今度、なんか社長さんや役員さん達とお話しするんだよね。
ここでは笑顔と神妙な面持ちを見せれば受かるんじゃないかな。うん。
役員面接の最後に手を挙げて、「もしこの会社に入れなかったら、僕は他社で五年働いて、またもう一度御社の採用を受けます。」って迫真しながら嘘を演じれば受かるんじゃね。
とにかくグッときちゃう嘘を言おう。以上です。
さすれば内定獲得できるのです。これが僕の就活でした。
クレームとの闘い
大学生である私は今日いつものように、アルバイトに出勤した。
私のバイトの務め先は、とあるお弁当製造・販売を行う店舗です。
いつものように、レジに立ちお客様の相手をしていました。
今日は平日ということもあり、それ程店内は混雑していなかったので、いつも増して誠実に接客しているつもりでした。
事件が起きたのは、20時を過ぎた頃でした。
店内に8人ほどお客様が来店してきました。家族連れなのかどうか知りませんが小さい子供も複数人いました。彼らは他のお客様が弁当の受け取り待ちで店内にいるにも関わらず、特異な茨城訛りの日本語で大声を出して騒ぎ出した。
見た目だけで判断するのは失礼であり、僕も大した性がある人間ではないため声高に相手を見下すことはできませんが、はっきり言って俗にいうコンプライアンス違反でした。
私はそれでもグッと言いたいことを抑え対応しました。この気持ちは店内にいたその他のお客様も同じだったと思います。
注文は竜田3つと、焼肉弁当、お子様ランチ、豚汁、各一つずつでした。
私は注文一つ入る度にマニュアル通り復唱をし、何か悪い予感がしたので自発的にもう一度確認をしました。そして調理場にオーダーを通しました。
提供も確実に言われたのと同じ商品を提供しました。
そして閉店時間なったので、せっせと店内の清掃と、本日の売上の精算をしていました。
するとそこに一本の電話が掛かってきました。
客「私、竜田2個大盛で注文したのに大盛になってないんだけど、、、、」
私「そうですか、、、、(へぇーーーー)、それではご注文の方確認致しますので、ご注文内容の方確認させていただきます。失礼ですが注文内容方お願い致します。」
客「竜田大盛2つ、竜田1つ、焼肉、お子様、、、、」
私「あーーーもう結構です、、確認とれましたありがとうございます」
客「ねぇお腹空いててさこっちは大盛で頼んでるのにどうしてくれるの、早く新しいの届けてくれる?」
私「(えー私はどうにもできませんね。あんたのお腹の事情だろ。パンでも加えて腹持ちしてろよ、こっちはだって今週テスト週間だから昼抜きだってあるよ、量がすくねーだ食えてるだけで幸せだろ、なら注文を2回も繰り返してるときにちゃんと聞いてろボケが)、、、あのレシートのデータの方には普通盛りの料金で頂戴しておりますので、、、後、大変申し訳ございませんが只今のお時間は営業時間外になっておりますので届けることはできません」
客「えちょっと困るんですけど、私は最初に大盛2つ言ったでしょ」
この時点で向こうの高圧的な態度に腹が立ちました。こっちはさ頂いた料金内で与えられるサービスを与えてるだろ、しかも一時間半後で食った後だろ、なんだお前、それで届けろだ、、、、私はこの顧客に対して相手にする気もなくなった。
私「あの僕がその時対応させてもらったんですけど、僕復唱してますし、これ以上おっしゃるなら本部に相談してくださーーーい」
客「ちょっとなんなのその態度!!」
私「なんすか」
客「こっちはこれ、録音してるんだからね!!憶えとけよその態度」
私「あーそうですか。(で、、こっちも録音してるけどね)」
客「もういい、、、ああああーお前名前なんていうんだよ」
私「僕スカ、、、俺スカ、、、なんでしょうね、、山内かな」
客「分かったもういい本部に言うからな」
私「どうぞどうぞーーーーーばいばーい(お構いなく、、、早く切ってね、怠いから)」
こういう言った言ってない論争になった時点で、支払った商品以上のものを求めてくる客がいることに腹が立った。
なんでだろうかわいそうに。。僕はクレームに合ったことが何回かあるので大体相手が何を言ってくるのか経験上よく知っている。
大概、対応した人物の名前を取り上げ、本部や上層部の人間に訴えかけ、個人を糾弾する。ある意味、脅迫罪である。
私は今日、ポスト生産主義の悲劇体験したのかもしない。
我々の資本主義経済は売れる商品を世に出すために、企業は顧客のニーズに応えようとしてきた。品質の向上を図り、他の商品と差別化できる商品を生み出すことでより良い社会を作ってきたのだ。だから牛キャベツ丼がAからEまでの5タイプ存在するのだ。
こうした不断の付加価値の追求をしている企業努力に漬け込み、一部の客はわがままになってしまったのか。そしてしまいには、現場にいる個人を糾弾するのか。
新しいものを生み出し、社会を変えていく企業の活動に、消費者である客の精神性が追い付いていないのか、、、、
なんであなたはお客「様」なんですか?なんでそんなに偉そうなんですか?
なんで従業員は理不尽に対して言い返すことができないんですか?
フォード先生教えて下さい。
生田絵梨花のソロコンサートで見えた親友への思い
生田絵梨花の芸能活動における生命線と言えば、それは並外れた「歌唱力」にある。
特に、10枚目シングル「何度目の青空か」はその象徴である。イントロで彼女が一人圧倒的な歌唱力を持ってして独唱しながら、天空から舞い降りてくるシーン、、
これを観る観客の乃木ヲタたちは、ただ黙ることしかできない。
彼女一人の力で、会場の狂乱的コールは静まりかえるのだ。
そんな姿を目の当たりにしてきた私は、乃木ヲタの無力さを痛感させられる。
皮肉にもその才能は乃木坂だけにとどまらず、ミュージカル業界への参入を果たし、
握手会への参加も減り、彼女ははるか遠い存在になっていた。
「生田は特別」「生田は異次元」とかそういう彼女への形容詞が、彼女があたかも一人芝居しているように映っていた。
「生田は乃木坂の看板を捨て、メンバーのこととか考えていないでしょ」
私は最近まで、そんな考えに同調しているうちの一人であった。
しかし、彼女はそんな浅はかな考えを持ってしまっていた私を一蹴してくれたのだ。
それは昨年の12月25日行われた生田絵梨花ソロコンサートでの出来事である。
私はそこで彼女が歌った1曲で、先述の浅はかな考えは論破されてしまった。
「君は僕と会わないほうがよかったのかな」
そして幽玄なるバイオリンの音色に引き続き、生田が歌い出す。
い:「ひめたんは私と会わないほうがよかったのかもしれないって思うの」
ひ:「なんで?」
い:「こないだ夕暮れ時に仕事から帰ってる最中に、満員電車の人混みの中で、背中丸めて、ひめたんのこと考えたの」
ひ:「どうしたの急に」
い:「私、ひめたんのこと幸せにできなかったなぁ、ホントに自分に不甲斐なくてね」
ひ:「そんなことないよ、私はいくちゃんが大きなステージに立ってキラキラ輝いてるのを観るだけですごくワクワクするんだよ。夢が叶うってこういうことなんだなって」
い:「えーありがとう☆彡、こうして話すの久しぶりだね」
ひ:「うん」
い:「最初の頃はさ、私達ちーちゃんとかと一緒に中三組とか言われてさ、、
お互いみんなで活動することが多かったよね」
い:「あの頃はどこかお互いに求め合ってたとかいうかね、、、」
ひ:「確かにねーこないだの、ラジオがホント三人で集まったの久々だったね」
い:「だけどさ、乃木坂の楽曲では3人とも接点なくて、仕事もだんだんバラバラになっちゃったよね」
ひ:「それぞれ3人とも個性強いからね笑、えへへ」
い:「なんかそれを、私気付かないうちにやり過ごしててさ」
い:「それが二人に対するやさしさだと勝手に思いこんでてさ、私とひめたん少しづつ
距離ができてたかななんて思うことがあるの」
ひ:「お互い自分のことで精いっぱいだったもんね」
い:「だけどさ、ひめたんが体調悪くなって辞めるって聞いたときに、自分で一人で決めさせちゃって、、なんとなく気づいてたから相談に乗ってあげようって思ってたの に、」
ひ:「いいのよ、自分で納得してる道だから、大丈夫だよ」
い:「ひめたんがホントは休業する時にそのことについて、話そうと思ってたんだけ ど、、私、素直になれなくて、、、」
い:「一人で悲しませて、、、ごめんね」
ひ:「ちょっとそんなことないってーー!」
い:「そうやっていつも私のことは相談に乗ってくれるのに、自分のことは隠してばっかりだから、、、もーぅひめたんは」
ひ:「イヒヒヒヒ」
い:「だから、私が頼りなくて、、」
ひ:「イクちゃん大きい赤ちゃんだからねww」
い:「わたしがもっと大人だったらなんて、、」
ひ:「それがいくちゃんの良さだよ*1」
い:「ひめたんのために私、何もできなかったなんて思って、、、、、
だから今歌ってるの、ひめたんにささげる君僕」
い:「だって、、、、今も私ひめたんのことが好きなんだもん」
*1:´∀`
私の思考
久しぶりの更新です。
2018年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
去年の年末から新年にかけて、何か落ちつかない日々でした。
それは12月31日をもって「ひめーる」が更新されなくなってしまうことが恐怖で恐怖で仕方なかったからだ。
神宮ライブ、卒業発表、最後の握手会、最後のアンダーライブ、東京ドームでの単独公演、そしてラジラー最終回と私は、全て接点を持ちリアルで体感していて、別れの段階を知っていながら、惜別の思いにかられるのはそれだけ中元日芽香に虜になっていた自分そのものを示している。
中元は最後の更新となった公式ブログで「アイドルについて語ろうと思えばいくらでも語れる」と仰ったが、中元を推してきた観客の私(中元)からすると「中元 日芽香について語ろうと思えばいくらでも語れる」と言える。
はっきし言って、大学三年生の僕からすると、なんか知らねー自己分析やら学生時代に頑張ったこととか自分のこと語れとか言っても語ることなんか、まともに俺はできねー。そしてそれが今求められているんだがな。
たった400字の自己PRは俺にとって苦痛だけれども、ひめたんについて400字で書けと言われたらいくらでもかける。
ひめたんについて語れとなると俺のタイピングはよく進む。。本当に不思議だ。
中元日芽香はアイドル活動に対して「寝る間惜しかった」というが、私は寝る間を惜しんで真剣に、「俺は中元日芽香なんじゃないか?」と考えたこともあった。
それを立証する出来事を紹介する。
ひめたんはモバメで「アンダー」という楽曲に対して自分自身に一つの問いを出した。
「あなたの人生はどこにあるの?」(アンダーという歌詞の一部)と
九州ライブ福岡を通して私は真剣に考えた。
私は九州ライブのその日の夜ネットカフェで横になりながら、答えを出したのだ。
「乃木坂46にある」と、、、、
そして数日後、ひめーるには正解が送られてきた。
答えは「ここ、乃木坂46にある」であった。
見事に一致していた。
この時、私の主体は完全に中元日芽香と一致していたと言える。
中元のガチキチファンという主体で考えたなら私の答えは「中元日芽香にある」だったと思う。
しかし、私はこの時、「乃木坂46にある」と答えた。
これは私の思考の主体が中元日芽香であること科学的に立証したということになる。
ちなみに、私が福岡で唯一食べたラーメンは、福岡でひめたんがツアー中食べたと報告したラーメンと一致していた。
そして、最終的には気がつくと、ラジラー最終回の日、私と中元は同じ場所にいた。
渋谷を舞台に。
この日私は、初めてアイデンティティーを喪失することとなった。
ラジラー最終回の収録終わり、NHKの前で最後にひめたんを一目でも見ようと試みた。
3つほど入り口があり、私は西出口から出てくると直感的に感じていた。
この直感は中元日芽香と同じ直感なので、外れるはずはなかった。
しかし、いつになってもひめたんは出てこない。。。
3時間は寒い中出待ちした。しかし結果は、一目も見れずであった。
この日は初めて、自分の思考が中元日芽香同じではないのかと疑ったのだ。
さらに12月31日のひめーるには、ひめたんが日本のパスポートを片手に持つ一枚の写真が添付されていた。
私の思考=中元日芽香であるならば、どこにこれから行くのか分かるのは自明である。
しかし、いくら考えても答えは分からないのである。
「なぜだろう、なんで?!あれだけ研ぎ澄まされていた中元日芽香の感覚が消えている」と、、、、、、
そして、私は今どうしてか気づいた。
私の思考=中元日芽香の思考ではない。
「私の思考=アイドルとしての中元日芽香の思考」なのだ。
ラジラー収録後のひめたんはアイドルではないし、これから旅行に行くひめたんもアイドルではない。私は腑に落ちた。
ひめたんはもうこの瞬間アイドルでは無い。これから何も私の思考は新たに生産されることはないのだ。
私は今後、何も成長しない。
だから私はこれから、過去6年半のアイドル中元日芽香の思考の中を行き来きし続ける。
たった6歳と半年の思考。
けれども、私の青春と思い出がギュッと詰まった純情で、儚い思考なのです。